人の気持ちがわからない。いやサイコパスとかじゃなくて。
誰も人の気持ちをわかっていないと思う。それまで積んできた厚薄様々な人生経験から、ある状況に対する人間の反応を記憶しているだけだ。人が驚いてみせたなら、自分が驚いてみせたときの感情と同じものを人が抱いていると理解する。知らない状況では、その人の立場になったつもりになってみて、自分ならどう思い行動するかと考える。
つまり根底に自分がいる。それじゃ理解したのは人の気持ちではなく、人の振る舞いと自分の気持ちでしかないのではないか。
にも関わらず、人は時として、自分を傷つけた(らしい)人に対して「お前は人の気持ちがわからないのか」などとのたまう。こんなのには付き合っていられない(この人は自己矛盾に気づかず傲慢さを大爆発させている人が嫌いです)。
こんなことを考えるのはたぶん僕くらいで、人の気持ちがわかっているかどうかについて人が考えるとき、実は人の気持ちがわかっているかどうかなんてどうでもよく、状況に対するマジョリティの反応を一問一答形式で答えられればそれでよいはずだ。
そういえば、「サイコパス(原義でない)の言いそうなセリフ」として「道徳は暗記科目w」というのがある。Twitterで見かけた。これを踏まえると、道徳が暗記科目であるというのは間違いじゃないのかもしれない。状況に対するマジョリティの反応の一問一答を暗記する。結局人類がやっているのは地道な暗記作業だ。1億総サイコ社会。
他人のことなんて直接的にわかりっこない。これは「我思う、故に我あり」や「哲学的ゾンビ」に繋がる話だと思う。そういえば小学生の頃考えていたことにもう哲学的ゾンビという名前がついていたことに初め驚いた。自分ごときが考えることなどとうの昔に考えつくされたのだろうとすら思えてしまった。