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人がいなければすべての問題は問題でない

おことわり:殺したいって書きますが、殺しません。憂さ晴らしは生物以外に行いましょう。いつどんな形や大きさでしっぺ返しを喰らうかわかりません。それは復讐であるかもしれませんし、悪意が人の間を循環し、そのしわ寄せとなった人が通り魔として他人、あなた、あなたの愛する人を襲う可能性だってありますよ( ̄ー ̄)ニヤリ

 

 見ず知らずの同世代とむりやり同じ場所で生活させられている中で、こいつら赤の他人には何をしてもいいと思っているな、と思った。それ自体にはみんな気づいていて、だからこそ、みんなやってるからこそ、そこに自分一人くらい加わっても現状は変わらないし咎められもしないだろうと信じているようだった。他の世代、他の時代がどうかはよくわからない。(かといって奴らにルールがないわけでもないらしく、雷之電とかいうどうしようもないアスペがなにかアスペムーブをかますと一斉に冷笑モードに入る。灯油買ってこようかと思った)

 当然憂さ晴らしの相手として人間を選ぶ人が増える。悪意は人に渡しても完全には消えず、さらに相手の中でも増えるので、悪意の総量が増える。……悪意は他の感情で打ち消すか、非生物に向けて消化しないと、勝手に増えていく。自分一人くらい加わっても現状は変わらない、わけがない。蚊をたった一匹殺せば未来の蚊の総数を一匹よりもずっと多く減らせるのと同じように、勝手に増える悪意を今断てば、未来の悪意の総数を効果的に減らせる。「幸せの輪を広げよう」という臭い言葉には臭み以外の何も感じることができなかったが、ここ数年は切望からの諦めも感じられるようになった。憂さ晴らしの相手として人間を選ぶ人がいる限り、そこに円満は訪れない。殺してしまいたいが、そうすればきっと社会を維持できるだけの人口はなくなる(既にないってのはナシ)。

 赤の他人には何をしてもいい、こともない。世にはこの悪意をうまく消せずに鬱屈を続け、街で大爆発する人がいる。(完全に孤立した身寄りのない人が鬱屈の果てにひっそり自殺すれば総量は減るが、これを表立って言うと総量は増え、大量の悪意を受け取った雷之電が街で大爆発するか自殺する)大爆発したいというのは理解(ただの共感かも)できる。鬱初め、あるいは鬱から抜け始めてちょっとだけ元気になったとき、いかにして自分への直接の悪意を受けることなく大量の悪意を世間様(これはどこ?)に押し付けるかを考えていた。こんなしょーもないバチクソ陰キャクソザコナメクジに運悪く自分や仲間を傷つけられたくなければ、こんな馬鹿なことはやめよう。というか程度によらず、やってしまえばしょーもないバチクソ陰キャクソザコナメクジと同類だ。

 あと、道端ですれ違った人が赤の他人でない可能性も大いにある。僕の母は大昔、初出社の日にムカつく相手を車で煽り倒し、壮絶なカーチェイスを繰り広げながら(日本じゃないようなディストピアなこの出来事の理解を助けるためのヒント:そこは昭和の愛知県)出社したら、そのカーチェイスの相手が会社の専務だった、ということがあったらしい。ディストピアなのでこの程度のことは大笑いで済まされたが。

例に漏れずつれづれなるままに書きなぐってしまった。おことわりに書いたことだけで十分伝わる内容だったかもしれない。おことわりの内容を覚えたらさっさと帰れ。帰らないと頭から灯油をかぶることになるぞ!帰れー!