現在僕は再発した白血病を骨髄移植で治療すべく、もう一度寛解を目指すための抗癌剤治療を進めている。
実は、これを書くかどうか本当に迷った。もし抗癌剤治療の辛さをあなたが知ったとして、これからの長い人生で万が一癌を患ったとき、治療をためらってしまう懸念があるからだ。だったらこの治療の辛さは自分の胸に秘めておいたほうがいいのかもしれないと、本気で思った。
だから、選択制にしようと思う。あなたがここまで読んで尻込みしたなら、迷わずブラウザバックしてほしい。それがあなたのためになると僕は思う。
今回、あえて目次は作らない。読みたくない人の目に、見出しも留まってほしくないのだ。
それではいこう。
・考えられる体調不良の欲張りセット
頭痛、頭重、便秘、吐き気、脱毛、全身倦怠感、食欲減退。これらが同時にのしかかる。無論、その時に使われる抗癌剤の種類によってどれが大きく出るかは違ってくるのだが。
最近で言うと、三者髄注、メソトレキセート、オンコビンが同時期に入り、「明らかな栄養失調気味なのに空腹と抗癌剤の吐き気で一口も食べ物はおろか飲み物すら接種できない」という負のスパイラルに陥った。ちなみにそこでこんな体を救ったのは、流動食のような働きをしてくれたコーンスープだった。濃厚かつ胃に優しい。これで持ち直した。
全身倦怠感は基本的にどの抗癌剤にもついてくる。最近入ったのはキロサイド。本来起きている時間のうち8割程度を眠って過ごすくらいになる。きっとこれは白血病による貧血も関係しているのだろうと思うが。
・全ての気力を奪われる
何かを楽しむ余裕すらなくなってしまう。言い換えると、一切の娯楽、楽しみがなくなってしまうのだ。まったく楽しみがない中で、前述の地獄のような体調不良欲張りセットに襲われる。「生きている」というより、「死んでいない」と表現するほうが適切なほどだ。きっと病院の窓が開いていれば身を投げていただろう。
希望を持つこと。これが抗癌剤治療中の、一番の薬となる。
・抗癌剤治療経験者のほかに誰も、この辛さを真に理解する者がいない
お医者様や家族でさえ、である。きっとこれは抗癌剤治療の辛さが、人間の共感能力を著しく凌駕しているのだろうと思う。なに単純な話だ。ベッドの上でぶっ倒れている人を見て、「ああ、今彼はすべての希望を打ち砕かれているんだな」などと都合よく察することなどできるはずもない。当然だ。そしてこれはお医者様にとっては大切なスキルであったりもする。患者一人一人に必要以上の感情移入などしていたら、他の治療に支障が出てしまう。また家族は、一番身近な理解者ぶってずけずけと何でも言いたがる。ここで無理解ゆえの齟齬が生じてしまう。彼らに限らず、自分自身の関係者の誰もが、この辛さを理解するに及ばず、時として心無い言葉を僕にぶつけてくる。もちろん「場数」を踏んでいる方々は下手なこと言わないが、同年代はきつい。再発の報告をした際に何の悪気もなく第一声で「治療しよう」と言う者(彼はなんだかんだ一番親身になってくれるのでありがたい部分もある)、電話で突然「入院楽しい?」などと聞いてくる共感能力以前の問題である取るに足らない社会不適合者(直後万引きで捕まっていた)、抗癌剤治療について「病院でぬくぬく」と抜かす自称IQ130などなど。枚挙にいとまがない。
だから治療中はできるだけニンゲンと関わりたくないのだ。彼らなどほとんどの場合毒でしかない。まあ彼らに取り憑いているのが貪瞋痴のうち愚痴であるなら、僕に取り憑いているのは十中八九瞋恚であろうから、五十歩百歩ではあるかもしれない。
また、この年齢で死生観について散々考えを練らされたという立場から、他者との話のずれが起きているとも考えられる。「死にたくないから生きている」という人が大半で、彼らは彼らだけで共通の観念というものがあるようで、自分がそんな中で話をしても、何一つ話が通じなかったりする。先述の「治療しよう」などがいい例だ。死が身近なものではなくなった今、多少は仕方のないことなのかもしれない。
・ただ、患者への無理解をあなたが憂う必要は決してない
再度書く。これは人間の共感能力を著しく凌駕した領域の話だ。できる限りこの記事で伝えられることを伝えたいが、僕が感じたことを100%伝えきることはできないし、できなくていいとすら思っている。これも再度となるが、抗癌剤治療がこんなにも辛いものだと知っていたら、間違いなく治療をためらう人が出てくるだろう。かくいう自分も、前回と同じ期間、強さの治療をするのだとしたら、その治療を選択せず、いつ訪れるかもわからない死を待つことになっていた可能性が大いにある。これからだってどんなに過酷なものが待ち構えているかまだ正確にはわからない。骨髄移植は人生で初めての経験となるからだ。
さて、仏陀は「苦行からは悟りを開けない」と説いた。まったくその通りだと思う。同じ内容の苦行など繰り返しても意味がない。ただ苦しいだけなのだ。
ひとまずここで筆を置くこととする。